3.11以降

4月 7th, 2011 § 0 comments § permalink

震災の後、たびたび自分のやっていることが、なんてちっぽけなことなのかと改めて思い知らされる。だが、自分は決死のレスキュー隊でも何でもないし、意気込んで被災地に乗り込んでも何の役にも立たず、むしろ事態を悪化させることにもなりかねないので、ささやかながらの募金をさせていただくにとどまる。

放射能問題で、いつもは水道水で入れていたコーヒーも気が引けるので、スーパーに水を求めに行ったのだが、すでに棚には売り切れ御免の札が貼られており、仕方なくウーロン茶を買って、コーヒーをあきらめた。買い占めする人の気持ちも分かるので、あまり怒りは覚えない。

むしろ、今回は、各メディアの性質がはっきりとわかった。誰かの太鼓判の付いた情報を伝えるのが大手メディアの仕事だから、数値もまともに計れない状況で放射能のことを発表できるわけもない。テレビではしきりに「ただちに健康への被害はない」というが、それは、放射能による即死はないと言っているようなもので、1年後、5年後、10年後にはどうなるかわからない。それでも、政府の人たちは、かつて、カイワレ大根をむしゃむしゃと食べたのと同じようにはいかなかったが、顔を苦々しくゆがめながらの水道水飲水をテレビで放送する。

「風評被害」のことはしきりにテレビのCMでもやっているが、計器もまともになく、現状のデータが正確に計れない状況において、事前に予防線を張って行動するのは、当たり前の行動だと思うので、それが例え日本の経済にさらなる打撃を与えると言われても、そうそう納得できることではない。何が本当に悪だったのかを考えることもせずに、「風評被害、風評被害」と叫んでいては、今回の震災はまったく意味のないものになってしまう。

甚大な被害による犠牲者を救うのが急務なことは変わらないが、被災地から離れた(まだまだ)安全地帯=東京にいる、偉そうなことなどまったく言えない者としては、3.11以降に生き残った自分が、これから人のために何ができるのかを考える時期だと思うのだ。だから、「がんばれニッポン」ではなく、「考えようニッポン」なのだと思う。

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