情報遊動

8月 31st, 2010 § 0 comments § permalink

情報が多すぎるとは、ここ数年でよく言われていることだ。例えば、Sさんが旅行に行こうとして、目的地をネットで検索するとする。すると、さまざまなブログや旅行会社のサイトで、目的地に関する情報を得ることができる。あるブログには、すばらしいとあり、別のブログには、二度と行かないとある。そこには、それぞれの意見を後押しする理由が書かれており、しかも、それぞれに納得できる記述があったとすれば、Sさんは悩んでしまう。そして友人に連絡して、意見を聞く。それで友人はSさんの話から、目的地Bの方がよさそうだという判断を下せば、Sさんは目的地Bを選択するかもしれない。そして実際に目的地に到着すると、やはり何か違うことを発見する。「ああ、これならば目的地Cにすればよかった」と思ったりもするだろう。これは、行列ができているラーメン屋でラーメンを食べ、うまくなかったと言っているのと同じである。

何かを失敗したくないために、事前調査をしすぎてしまい、結果的に実体験をする場面で、感動が薄れてしまうということはよくあるだろう。
文字情報を作り出すのは、人である。だから、書き手の性質を見抜かねば、情報の真偽はわからない。真偽というのは、自分にとって、その情報が有効であるかどうか、ということである。しかし、書き手の性質なんてなかなかわかるわけではないので、判断を誤ることがある。誰かがすでに体験していることを追体験して感動できるかどうかよりも、誰もが体験していないこと(つまり事前に情報を得ずに、自らが初体験すること)の方が、これだけさまざまな情報が飛び交ういまにおいては、よっぽど感動できる確率が高いのではないかと思えてくるのだ。さらに、いままで誰もネット上で発表していないことを、家に帰ってから、あるいは携帯から新たな文字情報として人に発表することができる。いわば、情報を発信する側にまわることができるのだ。こうしたことに喜びを覚えるのは、twitterをやっている人ならばわかるかもしれない。
しかし、情報発信側にはリスクもある。信頼できる情報発信者であると自分が認定したにも関わらず、ある時とんでもない情報を掲載した場合、「この人信頼できない」となる。クレーマーならば、抗議のコメントやメールを送りつけるだろう。
完璧な情報など存在しないし、常に情報の質が一定であることもありえない。情報は受け手により、変容するし、受け手が情報を発信する際にも変容する。いわば、私たちが受け取る情報は、多くのフィルターを通過した後に届く情報であって、本当の情報をつかみたいと思ったら、事件や事故が起きたその現場に行くべきである。その情報のしくみがわかれば、「情報が多い」時代でも、十分に楽しめるのだと思う。
接種する情報を限定するのではなく、遊び動き回り、情報を発信し、情報を広く摂取すること。そして、その順序は入れ替わりながら循環する。

UNSORTED STOREオープン

8月 10th, 2010 § 0 comments § permalink

今年からはじめたUNSORTEDのストアーページが完成しました。

UNSORTED STORE

今後はこちらでUNSORTED BOOKSの出版物の販売、そして古本/古書(現在は古本メイン)、さらにアーティストの作品を取り扱っていきます。
オープンはしたものの、まだまだ成長途上にあるストアーですので、ご意見、ご感想をお聞かせいただければ幸いです。

よろしくお願いいたします。

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