タコシェ

11月 27th, 2012 § 0 comments § permalink

恵比寿でやったスナックコトノハの第二回目で
イラストレーターのオギリマサホさんがプレゼンしてくれた
「ボツになったイラスト」に感化され
タコシェでマニアックなマンガ本が買いたくなり中野へ。
中野ブロードウェイに行き3階直通のエスカレーターに乗って
実に10年ぶりくらいでタコシェに入る。
最後に来たのは、中野に住む友人のIからアコースティックギターを貰った時で
その前は、SALONの1号目を納品しに行った時。
店内にある本をじっくりと見て、選んだ本をレジに持っていって
領収書をお願いし名前を言うと店の方が話かけてくださる。
『Per.mur.』を韓国のZINE FESTAに送ってくださったとのこと。
スナックコトノハのことも知っていてくれ嬉しくなる。
タコシェを出て駅へ向かい、オレンジ色の電車に乗って新宿へ。
靴屋を数軒まわって気に入ったKEENの靴はサイズの在庫がなく
あきらめて、しばらく夜の新宿を歩く。

編集作業

10月 2nd, 2012 § 0 comments § permalink

すべてのデータを新しい映像ソフトの編集タイムライン上に乗せ
ようやく編集の楽しさを感じながら作業に没頭することができるようになった。
6名の登場人物の映像を細かくカットし全体を通しての文脈を探りながら
ひとつの結論へと導いていく。
いま編集しているのは夢についてで
この映像の中にグリッチの映像を入れることは難しいかもしれない。
だから、別のものとして編集するが、グリッチに関しては比較的すぐにでも出せる。
芸大での講義、そして東京経済大学での講義は尺があるので
もしかしたらYouTubeなどにアップするかも知れない。
とにかく夢の編集をするのが先決だ。
6人がそれぞれ異なったことを話し
しかしどこかで皆繋がっている。
まるで精神分析でもしているかのような気分。
しかしこれが編集だ。

salon version4について

8月 27th, 2011 § 0 comments § permalink

先日行われたグリッチワークショップでもお見せしたインタビュービデオを含んだsalon version4が今年中には発売されます。
名前はもしかしたらunsortedとなるかも知れません。
そして恐らく2つか3つのコンテンツを同時に出す予定です。
ひとつはGlitchに関するもの、もう一つはオーソドックスなsalon、そして、Ovalに関するものの3つです。ですが、編集の過程で、どうなっていくのかはわかりませんので確定ではありません。
現在、制作体制を整えつつ、フォーマットについてアイデア出しをしているところです。
salonは1999年に僕が自費で出版してから、毎回出版社を変えて発行してきました。ですから、かつて出した版元と僕らは、現在まったく関係がありません。
salonに関するお問い合わせは、僕までメールをいただければと思います。

豪雨の中の東京にて。

GWS@芸大を終えて

8月 25th, 2011 § 0 comments § permalink

芸大で20日から行われたグリッチワークショップは無事に終了した。ucnvさんのユーモアを含んだ落ち着いた仕切りと、林洋介さんによるProcessingを使った「左翼」的グリッチなど、グリッチのさまざまな手法を示して、集まった受講者たちがグループごとに作品を作り発表した。そして最後に、僕は「グリッチの歴史と概要」というプリントを配布して、それとは異なる「グリッチとは何か?」という概論的な話をした。

何よりも嬉しいのは、グリッチという日本ではまだまだニッチなテーマのワークショップに30名近い人たちが集まったことと、女性も8名ほどが参加してくれたことで、それはなにより今後のグリッチ/グリッチアートがさまざまな人と場所で作られて、そして認知され広まっていくことを意味するし、何より「破壊」をするという行為を通して、テクノロジーや、人間の美的感覚や、ひいては社会をも見つめ直すきっかけになればいいと本気で思っている。

当初、僕はグリッチの歴史について話をして欲しいと、#takawo杯の主宰者である高尾さんから依頼されたが、昨年やった「グリッチとは何か?」というイベントで出なかった答えを、歴史を眺めてさまざまなグリッチをしている/グリッチだと呼ばれている人たちとのコミュニケーションをとりながら、お話しさせていただいた形となった。

グリッチは世界的に見れば、現在ではかなり多くの人たちが関わっているし、FlickrやFacebookなどにも多くの異なる「思想」によってまとまったグループが存在していることも確かであり、ひと言でまとめてグリッチの世界で言う「破壊」やグリッチについて、ひいては、日々更新されていくグリッチの歴史をまとめ切ることことは困難をきわめる。

ただ、今回の芸大でのワークショップがよかったのは、何よりも実際に画像や動画を破壊してみる体験ができたことだし、これをやったかやらないかでは、かなりグリッチの見方が変わってくる。

さらに、ワークショップ終了後に、ucnv、youpy、Kenko Mizumoto、そして僕とucnvによるライブが行われた。こちらも本当に面白かった。

最後に、ワークショップの企画を考えた芸大の高尾さん、そしてsalonの2号目から知ってくれていて僕の講義をワークショプに入れてくれた芸大の助教である城さん、一緒に講義をしたucnvさん、hysyskさん、そして何より、参加してくださった方々にこの場でお礼を申し上げたい。

7月8日と0f0003

7月 8th, 2011 § 0 comments § permalink

オフラインが好きになったことだし、早く寝ようとしていたのに、あることが気になり珍しくネットサーフィンをしていたら、ひょんなきっかけでnato.0+55やnebula.M81の制作者の正体がわかったのだった。しかも、この制作者であるGheorghe Danという男は、2006年に開催されたISEAにも出ているし、2008年には0f0003(サイトもある)のプロジェクトであるBalkan.OSというものまでプレゼンテーションしている(全貌はわからない)。そして、いままでこの情報を知らなかったこと、知ろうとしなかったことに、相当、がっくりと肩を落としていまPCの前にいる。

しかしながらこれは、友人のアニメ好きが語っていたように、好きなアニメの最終回を見ないのに似た心境がこれまでの自分の中にあったことは確かだ。SALON.ver3を作り終える頃、natoがmaxを発売するアメリカのcycling’74に訴えられ、natoのサイトであったm9ndfukc.orgやeusocial.comが次々と閉鎖されていった。それまで自分が熱狂してきた一風変わった開発者たちの活動が終わりつつあるのを感じて、本当に絶望に近い感覚を抱いた。それからというもの、彼らのその後ついて詮索をしなくなった。

2002年にぼくがオランダのSteimで会ったNetochka NezvanovaはRebecca Wilsonというニュージーランド出身のアーティストだったということもわかった。もちろん、当時から彼女はSteimで電子音楽をやっているニュージーランド出身の女性だということも、nato制作者のメンバーの一人に過ぎないこともわかっていた。natoの日本での代理販売をしたいと思っていたぼくは、オランダに行って彼女にそのお願いをして、彼女は快諾してくれた。日本に帰って半月後には、natoを販売していたkagi.comでぼくたちのための購入システムを作ってくれた。

しかしながら、この事実を発見するまでのネットサーフィンは、2001年周辺に味わった興奮を想起させてくれた。非常にスリリングでわくわくとした数時間だった(そして今日7月8日は、ぼくがはじめて立ち上げた会社の設立日だ)。

3.11以降

4月 7th, 2011 § 0 comments § permalink

震災の後、たびたび自分のやっていることが、なんてちっぽけなことなのかと改めて思い知らされる。だが、自分は決死のレスキュー隊でも何でもないし、意気込んで被災地に乗り込んでも何の役にも立たず、むしろ事態を悪化させることにもなりかねないので、ささやかながらの募金をさせていただくにとどまる。

放射能問題で、いつもは水道水で入れていたコーヒーも気が引けるので、スーパーに水を求めに行ったのだが、すでに棚には売り切れ御免の札が貼られており、仕方なくウーロン茶を買って、コーヒーをあきらめた。買い占めする人の気持ちも分かるので、あまり怒りは覚えない。

むしろ、今回は、各メディアの性質がはっきりとわかった。誰かの太鼓判の付いた情報を伝えるのが大手メディアの仕事だから、数値もまともに計れない状況で放射能のことを発表できるわけもない。テレビではしきりに「ただちに健康への被害はない」というが、それは、放射能による即死はないと言っているようなもので、1年後、5年後、10年後にはどうなるかわからない。それでも、政府の人たちは、かつて、カイワレ大根をむしゃむしゃと食べたのと同じようにはいかなかったが、顔を苦々しくゆがめながらの水道水飲水をテレビで放送する。

「風評被害」のことはしきりにテレビのCMでもやっているが、計器もまともになく、現状のデータが正確に計れない状況において、事前に予防線を張って行動するのは、当たり前の行動だと思うので、それが例え日本の経済にさらなる打撃を与えると言われても、そうそう納得できることではない。何が本当に悪だったのかを考えることもせずに、「風評被害、風評被害」と叫んでいては、今回の震災はまったく意味のないものになってしまう。

甚大な被害による犠牲者を救うのが急務なことは変わらないが、被災地から離れた(まだまだ)安全地帯=東京にいる、偉そうなことなどまったく言えない者としては、3.11以降に生き残った自分が、これから人のために何ができるのかを考える時期だと思うのだ。だから、「がんばれニッポン」ではなく、「考えようニッポン」なのだと思う。

ルノアール逃避行

1月 31st, 2011 § 0 comments § permalink

飽きっぽい性格は、どうやら治らないらしい。

一昨年から制作をすすめてきて、昨年の春に完成したunsorted booksのサイトを、もう変えたいという欲求が抑えられない。
ここ数日は、思考が変に分断されている分、増えてしまったサイト(toroskaioとunsortedと、このサイトともう一個)を統合してひとつにまとめ、どこかが更新されれば、瞬時にわかるサイトができないかと考えていた。
ぼくは考えるときじっとしていられないので、事務所から抜け出し都内のWiFiがつながる喫茶店へと、今月新たに購入したばかりのMacBook Proを背負いながら、転がり込む。そんな感じだから、いつも足を運ぶ店では、とはいえ、こまめに通う喫茶店は変えているのだが、いつもおなじみの顔ぶれを眼にする。彼らもノートPCをテーブルに広げていて、何時間もその場を動かない。そうした彼らを見ると、自分だって長居してもいいだろうという気分になる。

よく行く喫茶店は、ルノアールだが、ここは何時間いても、オーダーした飲み物がなくなれば、暖かい緑茶を出してくれるので、悪い気がしないで済むし、こないだなどはいい気になって、こちらから2杯目の緑茶のおかわりを申し出て、ロボットのように従順なウェイトレスも少し面食らった顔をした。月額500円も払えばネットもできるし、携帯電話で話していても嫌な顔もされないので、居心地がいい。だから、お会計時には10%引きになるルノアール専用のEdyのカードも作ってもらった。さらに、急に先方から呼び出しされ、デザインのプリントアウトを見せなければならない時は、ネットプリントというサービスを使って、プリントしたいデータをネットから入稿し、近くのセブンイレブンに置いてあるカラーコピー複合機でプリントすることができるので、まったく困らない。これでは、どんどん、自分のオフィスのノマド化が進んでしまう。

そんなある日、有楽町のいまはなき三信ビルのはす向かいにあるルノアールに行ってまったりとしていたら、「コーヒーを温めで2杯いただけますか」と注文する老婆の声が聞こえて来た。コーヒーが運ばれてくると、「ちょっとすみません」と店員を呼びつけ、今度はトーストをオーダーし、さらに、「トーストを3cm角にカットしてはいただけませんか」と変なお願いをしている。歯が悪いのかな、と思って聞いていたが、その3cm角にカットされたトーストが老婆の元に届いてから2分もたたぬうちに、また店員を呼びつけ、「ティースプーンをいただけますか」と言う。言葉遣いは丁寧なのだが、声量がでかいので、こちらも気になってしまうし、なんだか嫌な印象も受ける。しかも、いままで衝立に阻まれてよく見えなかったのだが、その衝立の脇から、老婆の腰の部分が見え隠れしていて、「え、立ってるの?」と驚いたのだが、そんな時、ちょうど待ち合わせていた知り合いが有楽町駅に到着したというので、ぼくは席から立ちあがり、会計を済ませて、その老婆の側を通って店に出ようとしたら、老婆はコーヒーを2杯注文していながら、たったひとりで来店しており、しかも何日もシャンプーをしていないようなぼさぼさの頭で、席にも座らず、身体を45度に傾けながらテーブルのまわりをゆらゆらと徘徊し、店員から受け取ったティースプーンで、3cm角に切られたトーストをまるでファインアートのようにテーブルの上に並べ直しているのだった。その光景を見て、ぼくはますますその老婆のことをまじまじと見つめてしまったので、逆に老婆から睨まれ、あわてて店の外へと逃れたのだが、よくよく考えれば、ああした客にも注意ひとつせず(だって、お金持ってない可能性もあるだろう)、接客マニュアルにそったような丁寧な応対をしていたルノアールの店員のクソまじめさに心打たれ、「年老いて危うくなってからも行ける喫茶店はルノアールだな」、と思ったのだった。

だから多分、来週も、ぼくは事務所のルーチン化した環境から逃れ、ルノアールに行ってしまうことだろう。

2011年を迎えて

1月 9th, 2011 § 2 comments § permalink

2010年は、電子出版に湧いた年だった。

iPad、iPhone用に京極夏彦が『死ねばいいのに』を出版し、Wiredが電子版を作り、村上龍がG2010を立ち上げて『歌うクジラ』を出した年だった。

自分もiPadなどを購入して、20冊近い電子書籍をダウンロードし、デザイン構成や操作性を確認してみたりもした。
僕がiPadを購入したのは、昨年の7月のことだった。

遡って、2010年の5月には、アンソーテッド・ブックスをスタートさせた。アンソーテッド・ブックスでまず最初に出版したのは、大村タイシと中性子による、小さなエッセイ付きのイラスト集だ。「unsorted」のサイトを確認してもらえばわかるが、現在も都内と新潟を中心に、理解ある書店/ショップ様に置かせていただいている。
アンソーテッド・ブックスをやる前は、書店営業なんて簡単だと思っていた。10年ほど前に、SALONを立ち上げた頃は、テクノのディストリビューターと組んで、主にレコードショップで配本をして、残りは、青山ブックセンターやNADiffといった比較的インディーズに理解のありそうな書店に行き、本をデザインの段階からプレゼンして、置いてもらえることになった。当時、青山ブックセンターには学芸員がいて、その人たちの許可がなければ、本を置く事はできなかったのだ。

10年が経過して、今度はテクノのディストリビューターの力を借りなくなった。理由は、テクノに関係ない本を出すためだ。そうやって作った本が、『Per.mur.(パーマー)』だった。営業的には、かなり厳しいものがある。まず、こうした本を置いてもらえる書店が少ないことだ。「ここは」と思える書店に行ってみても、「誰が書いているんですか?」と言われ、その段階で90%は取り扱ってもらえない。有名じゃなければ、振り向いてもらえないのだ。

『Per.mur.』でイラストを描いている大村タイシとは、もう15年くらいの付き合いになる。彼は、15年前に胃ガンを患い、胃を3/4摘出して一命を取り留めた人物であり、彼は当時を振り返って「むやみに怒りを感じてはいけないものだなあ」ということを話していたが、そんなに怒りの沸点が低いとは思わなかった。彼は情報誌のデザイナーだったが、彼がトムズボックスから出版した本を受け取ったとき、情報誌のデザインだけをやっているのではないのだなと思い、人間の奥深さに触れた気がした(もちろん、そうした二面性を持つ人は多くいるのだけれど)。そんな気がしたのは、会話をしている中で感じ取れる彼の揺るぎない自信のようなものに違いないと思った。

そうこうして、僕がある人からの好意で、新宿の曙橋駅にある部屋を無料で借りることができるようになり、そこで「Sensor」という名のレコード屋を開いた。主に日本のインディペンデント・レーベルのCDを集め、海外のディストリビューターやレーベルと交換する形で、商品を流通させていた。日本のインディペンデントな音楽を海外の人にも知って欲しかった。それから、店内で展覧会もやれるようにと、新宿の世界堂で額縁を買ってきて、大村タイシと共同で店内に絵を飾り、知り合いをたくさん呼んだ。それから、店に関わってくれた人たちの事情も相まって、その店を畳もうということになり、僕はSALONの3号目の制作に入った。

話が逸れたが、いまになって考えてみて、あの頃の自分を突き動かしていたものは何だったのかを考えている。SALONの3号目を出した後は、「売れるモノを見つけよう」という強迫観念のようなものが芽生え、さまざまな人と会い、さまざまなイベントに出かけた。しかし、多くの人が勘違いしてしまうのが、「売れるモノを見つける」とは、すでに「売れているモノを見つける」と結びつけてしまうことだ。

そんなマインドセッテイングになってからというもの、SALONをやっていた自分がばからしく思えてきたことがあった。現在、YouTubeにもアップされているSALONの2号目は、販売価格が2100円で、発行部数が2000部だ(YouTubeではすべてのコンテンツは公開されていない。詳細を知りたい方は、ぜひ2号目を手に入れてください)。たった2000部のために、ヨーロッパ中を24日間で駆けずり回り、ケバブやマクドナルドのハンバーガーなどを食いながら安ホテルに滞在し、鉄道ではスリにあって、ユーレイルパスを盗まれたりもした。ミルプラトーのオーナーからは3度も嘘のスケジュールを言われ、パリやベルリン、アムステルダムから、ミルプラトーのあるフランクフルトに向かって、何度も無駄な移動時間を費やすはめになった。しかし、全然辛くはなかった。大変だと思ったこともなかった。

SALON 2号で、たった2000部のために、そこまでやった自分は、本当にかけがえのない時間を過ごしていたんだと思うし、「儲ける」ためではなく、自分の知りうる範囲内での、おもしろいものを世に出したいという気持ちで突っ走れたことに、また、突っ走らせてくれた周りの人たちの力にも感謝せずにはいられない。そう思えるようになったのは、奇しくも匿名の人間がSALONの2号目をYouTubeにアップしたおかげで、多くの人が閲覧したことも影響しているのだと思う(何が何に影響を及ぼすかは計り知れないが、過去のSALONがネットの恩恵を受けていることは確かだと思う)。

そして、2010年になって、発行部数5000部だったSALON version3.0が7年かけて完売し、現時点ではAmazonで中古のみが流通している。定価3000円だった本が、9800円という値段で取引されていることは自分にとって驚きであり、同時にもっと安価な値段で多くの読者に届けたいという思いもある。

これは後付けだが、そうした積み重ねの後に、いまの「アンソーテッド・ブックス」ができたのだと言える。そして、5年前に録音したComputer Soupのアルバムも、新しく設立したプライベート・レーベル「toroskaio」からリリースすることもできた。そして、この日記では告知しなかったが、12月4日にはIBM系の情報を取り扱う「アイマガジン」の協力を仰ぎ「unsorted salon」と題して、グリッチのイベントをユタカワサキ、ucnv、kick.snare.kick.snareを招いて開催できた。

新年早々、自分の過去を長々と書いたが、これからは、かつての方法から学んだことを推し進めて、2011年なりのやり方でやっていけたらと思う。

毎年新年になるとその年の抱負を人に言ってガス抜きしてしまうことを恐れて、今年は何も詳細を言わず、自分の中で醸成させて、実行に移していきたいと思っている(Twitterは最大のガス抜き要因なので、使い方を考えている)。冒頭、2010年は電子出版に湧いた年だった、と書いたが、自分の中でこの一文を反芻してみると、あまり実感が湧かない。それは、アクチュアルな本も読み続けているし、出されている電子書籍を購入しはしたが、自分ではまだ電子出版をやっていないからだ。

本年も、宜しくお願いいたします。

情報遊動

8月 31st, 2010 § 0 comments § permalink

情報が多すぎるとは、ここ数年でよく言われていることだ。例えば、Sさんが旅行に行こうとして、目的地をネットで検索するとする。すると、さまざまなブログや旅行会社のサイトで、目的地に関する情報を得ることができる。あるブログには、すばらしいとあり、別のブログには、二度と行かないとある。そこには、それぞれの意見を後押しする理由が書かれており、しかも、それぞれに納得できる記述があったとすれば、Sさんは悩んでしまう。そして友人に連絡して、意見を聞く。それで友人はSさんの話から、目的地Bの方がよさそうだという判断を下せば、Sさんは目的地Bを選択するかもしれない。そして実際に目的地に到着すると、やはり何か違うことを発見する。「ああ、これならば目的地Cにすればよかった」と思ったりもするだろう。これは、行列ができているラーメン屋でラーメンを食べ、うまくなかったと言っているのと同じである。

何かを失敗したくないために、事前調査をしすぎてしまい、結果的に実体験をする場面で、感動が薄れてしまうということはよくあるだろう。
文字情報を作り出すのは、人である。だから、書き手の性質を見抜かねば、情報の真偽はわからない。真偽というのは、自分にとって、その情報が有効であるかどうか、ということである。しかし、書き手の性質なんてなかなかわかるわけではないので、判断を誤ることがある。誰かがすでに体験していることを追体験して感動できるかどうかよりも、誰もが体験していないこと(つまり事前に情報を得ずに、自らが初体験すること)の方が、これだけさまざまな情報が飛び交ういまにおいては、よっぽど感動できる確率が高いのではないかと思えてくるのだ。さらに、いままで誰もネット上で発表していないことを、家に帰ってから、あるいは携帯から新たな文字情報として人に発表することができる。いわば、情報を発信する側にまわることができるのだ。こうしたことに喜びを覚えるのは、twitterをやっている人ならばわかるかもしれない。
しかし、情報発信側にはリスクもある。信頼できる情報発信者であると自分が認定したにも関わらず、ある時とんでもない情報を掲載した場合、「この人信頼できない」となる。クレーマーならば、抗議のコメントやメールを送りつけるだろう。
完璧な情報など存在しないし、常に情報の質が一定であることもありえない。情報は受け手により、変容するし、受け手が情報を発信する際にも変容する。いわば、私たちが受け取る情報は、多くのフィルターを通過した後に届く情報であって、本当の情報をつかみたいと思ったら、事件や事故が起きたその現場に行くべきである。その情報のしくみがわかれば、「情報が多い」時代でも、十分に楽しめるのだと思う。
接種する情報を限定するのではなく、遊び動き回り、情報を発信し、情報を広く摂取すること。そして、その順序は入れ替わりながら循環する。

Where Am I?

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